3/31のこと。
午後7時に会議を抜け出して、中野サンプラザホールの坂本真綾のライブに行ってきた。
着いたのは8時頃。1時間おくれだった。
中野サンプラザホールに入ったのは初めてかもしれない。
中はすでに熱気に包まれていた。
アルバム「You can't catch me」の中の「キミノセイ」という歌の最中だった。
僕の席は、1階の前から8列目くらいで、ステージに近かった。
去年の武道館は2階の最上段・最後方の立ち見席。あのときはステージははるか遠くで、ステージまで何十メートルもあった。
今回は、10mくらいで、坂本真綾の姿がすぐそこにあった。
ステージは計画停電のために、セットはなく、機材は少なく、演出も削減、電源も電源車から引っ張っているとのことだったが、それによる劣化は微塵も感じなかった。むしろ、ライティングの演出が絶妙だと思ったくらいだ。
満席だった。
ファンの特徴として、男女の比率はほぼ半々で、彼女は男性にも、女性にももてる。
それに、いつも思うことだが、ファンの行儀がいいのだ。取り乱して絶叫する者がいない。
みんな坂本真綾に会いたいし、曲を聴きにきた一方で、ライブを成功させたいという気持ちで統一、充満している。客であると同時に、アシスタントでもある。
坂本真綾がはげしく歌えば、同調して彼らも動き、しっとりと歌えば、黙ってききいる。
MCになると、一言一句聞き逃すまいと、咳きの声どころか、衣すれの音ひとつ立てずに耳をすます。
坂本真綾は震災のことについて語った。
3/11は、福岡公演の最中だった。揺れは感じず、あとから地震の詳細を知ったという。
テレビでの津波の映像や、壊滅した町、被災した人びとの様子に衝撃をうけ、心を痛めた。
仙台と札幌公演は中止せざるを得なくなった。さらに福島の原発事故によって、放射線問題が起こり、計画停電が実施され、大気、農作物、水質汚染への懸念から、生活不安が人びとに蔓延。買い占め現象が起こった。
彼女は悩んだ。ライブツアーがこういう事態に陥ることは、まったく想定していなかったはず。新しいチャレンジというコンセプトで、楽しみなツアーになっていたはずだった。
それが、11日の地震でもって、瓦解した。
ボランティア活動や、義援金活動をする団体からの参加への誘いも多くあったという。それを、全て断った。自分なりにできることを考えた。
日常をいまこそ早く取り戻すことが、大事だと考えた。
被災地に必要なものは、住む場所、暖かく眠る場所、食糧などである。音楽が求められるのは、もっと先の話。
私たちは、かれらを支えなければならない。支えるほうが、悲しみに沈んでいてはどうするのか。
支える側には、元気がなくてはいけない。被災のない土地が、一刻も早く元気と日常を取り戻し、被災地の復興に支障がないよう、活力を与えるべきだ。
生きることの喜びと、日常の幸せを今こそ噛み締めよう。これまで以上に、全力をもって生きよう。被災地にエールを送ろう。彼女はそう考えた。
だから、ライブを決行することを決意した。
電気がなくても、セットがなくても、音楽はできる。音楽は、みんながひとつになれば、楽しいものに、違わない。
そうして、ライブのテーマ、コンセプト自体を大きく変えたという。セットも機材、電源の削減、セットリストすらも組み替えて、チャリティーグッズの立ち上げ、募金箱の設置するなど、ごく数日間でそのテーマを転換させた。震災対応として、チケットの払い戻しを受けつけも決めた。新しい出発は、被災地への応援への思いに変わったのだった。
坂本真綾の歌の特徴は、聴けば聴くほど味が出てきて、聴く時々、人々によって、受け止め方が変わることだ。
また詞が中性的なので、男女に共感され、普遍性があるため、時代の流行で劣化しない。
例えば、以下の歌詞のように、今だからこそ聞く人にとって、大きな意味を感じる。
生きている限り ボクらが変えてゆく
生まれからには ボクらが切りひらく
「僕らの歴史」
もしも今この声が 誰かに届いてるなら
その人に誓いたい 僕は愛を忘れないと
いつかまたぬくもりを抱いて歩いてみせる
その力信じたい 生まれ変わる勇気はもう 僕の中に
「光あれ」
めいいっぱい傷ついて せいいっぱい走って
何十回転んで泣いて それでもまだ
あきれるくらい 明日を信じてる
「マジックナンバー」
彼女の熱唱は、ほとんど祈りに近いというか、訴えに近いような、強力なエネルギーがあった。僕はエネルギーの暴風の中心地にいて、彼女から圧倒的なオーラというか、気というのか、光量を感じた。小柄な体から、どうしてこんなパワーが出るのかと思った。
ライブが、終了した。
僕はチャリティーグッズを買ったり、義援金を出したりした。
帰りは呆然とし、家に着いたころには、どっと疲れが押し寄せてきた。なぜかわからない。僕は手拍子を打っていたくらいなのに。感想を書く気力もなかった。
ライブは最高だった。
それ以上に、坂本真綾のパワーというものに驚かされた。
人間の魅力とは、美しさとはなんだ、と考えずにいられない。人間力のひとことに尽きる。ヒーローといえばそういう存在がいちばんよく当てはまる。
輝いてる人と、そうでない人の差は?それは容姿だけではあるまい。内面から発するモノが、外に溢れ出ている。それを、うつくしいと思う。
震災が起き、行動する人と行動しない人の差は?それは、思いやりだろう。
僕は、自分のあり方をずっと考えていた。
エスカフローネで、偶然デビュー曲を聴き、きれいな声だと思った。
以来、曲を聴くたびに歌詞が耳に残るようになった。
坂本真綾の考え方が、どこか理想的に近いと思い始め、追いはじめた。
「マジックナンバー」を聴き、ハッとした。歌詞を読んで「これだ」と思った。
自身がこうなりたい、という像と重ねることができた。いつのまにか、目指す心のあり方、方向に迷わなくなった。「そこ」は考えなくてもよくなったからだ。
坂本真綾は今に固執しない。見にいくと、もう次に進んでいる。you can't catch meとは、そういう意味なんだろうか。
午後7時に会議を抜け出して、中野サンプラザホールの坂本真綾のライブに行ってきた。
着いたのは8時頃。1時間おくれだった。
中野サンプラザホールに入ったのは初めてかもしれない。
中はすでに熱気に包まれていた。
アルバム「You can't catch me」の中の「キミノセイ」という歌の最中だった。
僕の席は、1階の前から8列目くらいで、ステージに近かった。
去年の武道館は2階の最上段・最後方の立ち見席。あのときはステージははるか遠くで、ステージまで何十メートルもあった。
今回は、10mくらいで、坂本真綾の姿がすぐそこにあった。
ステージは計画停電のために、セットはなく、機材は少なく、演出も削減、電源も電源車から引っ張っているとのことだったが、それによる劣化は微塵も感じなかった。むしろ、ライティングの演出が絶妙だと思ったくらいだ。
満席だった。
ファンの特徴として、男女の比率はほぼ半々で、彼女は男性にも、女性にももてる。
それに、いつも思うことだが、ファンの行儀がいいのだ。取り乱して絶叫する者がいない。
みんな坂本真綾に会いたいし、曲を聴きにきた一方で、ライブを成功させたいという気持ちで統一、充満している。客であると同時に、アシスタントでもある。
坂本真綾がはげしく歌えば、同調して彼らも動き、しっとりと歌えば、黙ってききいる。
MCになると、一言一句聞き逃すまいと、咳きの声どころか、衣すれの音ひとつ立てずに耳をすます。
坂本真綾は震災のことについて語った。
3/11は、福岡公演の最中だった。揺れは感じず、あとから地震の詳細を知ったという。
テレビでの津波の映像や、壊滅した町、被災した人びとの様子に衝撃をうけ、心を痛めた。
仙台と札幌公演は中止せざるを得なくなった。さらに福島の原発事故によって、放射線問題が起こり、計画停電が実施され、大気、農作物、水質汚染への懸念から、生活不安が人びとに蔓延。買い占め現象が起こった。
彼女は悩んだ。ライブツアーがこういう事態に陥ることは、まったく想定していなかったはず。新しいチャレンジというコンセプトで、楽しみなツアーになっていたはずだった。
それが、11日の地震でもって、瓦解した。
ボランティア活動や、義援金活動をする団体からの参加への誘いも多くあったという。それを、全て断った。自分なりにできることを考えた。
日常をいまこそ早く取り戻すことが、大事だと考えた。
被災地に必要なものは、住む場所、暖かく眠る場所、食糧などである。音楽が求められるのは、もっと先の話。
私たちは、かれらを支えなければならない。支えるほうが、悲しみに沈んでいてはどうするのか。
支える側には、元気がなくてはいけない。被災のない土地が、一刻も早く元気と日常を取り戻し、被災地の復興に支障がないよう、活力を与えるべきだ。
生きることの喜びと、日常の幸せを今こそ噛み締めよう。これまで以上に、全力をもって生きよう。被災地にエールを送ろう。彼女はそう考えた。
だから、ライブを決行することを決意した。
電気がなくても、セットがなくても、音楽はできる。音楽は、みんながひとつになれば、楽しいものに、違わない。
そうして、ライブのテーマ、コンセプト自体を大きく変えたという。セットも機材、電源の削減、セットリストすらも組み替えて、チャリティーグッズの立ち上げ、募金箱の設置するなど、ごく数日間でそのテーマを転換させた。震災対応として、チケットの払い戻しを受けつけも決めた。新しい出発は、被災地への応援への思いに変わったのだった。
坂本真綾の歌の特徴は、聴けば聴くほど味が出てきて、聴く時々、人々によって、受け止め方が変わることだ。
また詞が中性的なので、男女に共感され、普遍性があるため、時代の流行で劣化しない。
例えば、以下の歌詞のように、今だからこそ聞く人にとって、大きな意味を感じる。
生きている限り ボクらが変えてゆく
生まれからには ボクらが切りひらく
「僕らの歴史」
もしも今この声が 誰かに届いてるなら
その人に誓いたい 僕は愛を忘れないと
いつかまたぬくもりを抱いて歩いてみせる
その力信じたい 生まれ変わる勇気はもう 僕の中に
「光あれ」
めいいっぱい傷ついて せいいっぱい走って
何十回転んで泣いて それでもまだ
あきれるくらい 明日を信じてる
「マジックナンバー」
彼女の熱唱は、ほとんど祈りに近いというか、訴えに近いような、強力なエネルギーがあった。僕はエネルギーの暴風の中心地にいて、彼女から圧倒的なオーラというか、気というのか、光量を感じた。小柄な体から、どうしてこんなパワーが出るのかと思った。
ライブが、終了した。
僕はチャリティーグッズを買ったり、義援金を出したりした。
帰りは呆然とし、家に着いたころには、どっと疲れが押し寄せてきた。なぜかわからない。僕は手拍子を打っていたくらいなのに。感想を書く気力もなかった。
ライブは最高だった。
それ以上に、坂本真綾のパワーというものに驚かされた。
人間の魅力とは、美しさとはなんだ、と考えずにいられない。人間力のひとことに尽きる。ヒーローといえばそういう存在がいちばんよく当てはまる。
輝いてる人と、そうでない人の差は?それは容姿だけではあるまい。内面から発するモノが、外に溢れ出ている。それを、うつくしいと思う。
震災が起き、行動する人と行動しない人の差は?それは、思いやりだろう。
僕は、自分のあり方をずっと考えていた。
エスカフローネで、偶然デビュー曲を聴き、きれいな声だと思った。
以来、曲を聴くたびに歌詞が耳に残るようになった。
坂本真綾の考え方が、どこか理想的に近いと思い始め、追いはじめた。
「マジックナンバー」を聴き、ハッとした。歌詞を読んで「これだ」と思った。
自身がこうなりたい、という像と重ねることができた。いつのまにか、目指す心のあり方、方向に迷わなくなった。「そこ」は考えなくてもよくなったからだ。
坂本真綾は今に固執しない。見にいくと、もう次に進んでいる。you can't catch meとは、そういう意味なんだろうか。
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